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2013年03月23日

「わからない」と言っていい作品。


「わからない、っていえると、気が楽になる」
浜田さんへのインタビューを通じて、ぼんやりした独特の作風が、
とっても腑に落ちました。印象深かった箇所を一部抜粋してお届けします。

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質問:焦点があわない、輪郭が溶けているといったらいいのか、
   この独特な作風はどこからきているのか気になります。
   なぜこういう部分を選んで切り取ってくるんですか?

浜田さん:

展示のときに、観た人の素直な感想が聞けるのが、こういうぼんやりている作品かな、と思ったときがあって。

写真などを切ってコラージュ作品をつくっていたときは、何が何だかわからない作品だったんですが、
モノがはっきり写っていて、逆に観にきてくれた人とコミュニケーションがあまりない作品だったんですよ。

一枚のこういうぼんやりした、ぼやけた写真をつかった作品をはじめたときに
たとえばギャラリーで展示していて、美術とかに関係ない人がたまたまふらっと入ってきたときに
「これは犬がうつっているんですか?」って聞いてくるんです。で、「あ、これはゴミ置き場なんです」
「えっ?!」とか。すごく単純な会話が成り立ったりして。

わからないっていうのがはっきりしているから、わからない、っていえる。
コラージュのときはわからないっていえない状態だったんだな、って思って。
モノがはっきりうつっていると、それが見えているから、構図とかめちゃめちゃで何でこうやっているかわからない、
そういっていいのに、それが思いつかないで帰っちゃうような感じだったのかなと。
それはそれで私的には面白かったんですけど、でも、もっと絞りこめるのかなと思って。

ぼんやりすることで、わからないってことがはっきりしてくる。
誰がみてもわからないのが明らかになるから、「わからない」って、言っていい状況ができる。
そうすると、すごく気が楽になる、のかなと。
ぼんやりしていることが、実は大事なのかなって。
ぼんやりしている、ということだけは、自分ははっきり言えるひとつのことなのかな、と。

ぼんやりしているから
たとえば椅子が映っていても、知らなければ椅子だとみえなくて
これはお花ですか、と聞いたりすることもできるし
でも、実は椅子を写したんですよといってもいいし、お花ですよ、といっちゃてもよくて。
椅子でもお花でも正解がないというか、その人がそう思ったらそれでいいというか。
ほんとうのことを知ったから、どうだ、ってことでもない。

そういう自分が、小さい頃からずっと思っていた「なんだろう」ということとと合致してきて、、、
これだったら続けられるかな、と。


( つづく。)




<2013/03/23   浜田 涼 インタビューより>

◎明日18:00まで展示開催しています、お見逃しなく!

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posted by yahiro8 at 23:03| Comment(0) | →vol.6 浜田 涼 個展 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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